この1年間、ノンの担任をしていただいた先生。
とてもステキな先生で、私もノンも大好きでした。
その先生が書くクラス便りも毎回が楽しみで、涙が出そうになりながら読んだ事もあります。
そんな先生のクラス便りに載せられていた1つの詩が、とても良い詩で心に響いたので、先生の許可を頂き、ここでアップさせてもらう事にしました。
『最後だとわかっていたなら』
ノーマ・コーネット・マレック 作 / 佐川 睦 訳
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう
確かに いつも明日は やってくる 見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも やり直す機会が いつでも与えられている
「あなたを愛してる」と言うことは いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも いつだってできる
でも もしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは 今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうして してあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから
私もよく、「あの時こうしていれば・・・ああしていれば良かった」「明日言えばいいや…」「いつでも出来るし…」と思う事がしばしばあります。
明日が来ない。。。など、真剣に考えた事もありませんでした。
先生もお便りの最後に
『この詩を読むと、1日1日を大切に生きていかなければ・・・と気持ちが改まります』
と綴っていますが、本当にそう思います。
私の住んでいる東海地方も、いつ、このような地震が起きてもおかしくない地域です。
何気なく過ごせる…何気なく過ぎて行く毎日ほど、幸せな事はありません。
そういう風に過ごせている毎日を、決して当たり前と思わず、1日1日、その時々を大切に思いながら、過ごして行きたいと思います。
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